INTERVIEWインタビュー

女性のライフイベントがあっても楽しく幸せに仕事を続ける環境がココにはある!
SCROLL DOWN
大内 朋子OHUCHI TOMOKO
営業2課プランナー
2004年度 入社
年  齢 40歳
趣  味 子どもと本気で遊ぶこと
プライベート 絶賛子育て中。プライベートは精神年齢がほぼ息子と同じ(笑) 同じ目線で一緒に過ごしています

SENDAI

PADO

営業2課プランナー,大内 朋子

MISSION

今の仕事内容は何ですか?

主に「ぱど」を提案し、地域のプランナーをしています。担当地域は太白区と太白区以南の名取や岩沼で個人店を中心に販促や集客を目的とした広告掲載を提案しています。地域密着型。地道に地域の人を集客して、健全で安定的な売り上げを上げられるように、リーズナブルな掲載料金で継続的な掲載を提案しています。
営業2課プランナー,大内 朋子

MY HISTORY

仕事での成功体験や失敗談は?

営業未経験での入社だったので、【営業】という仕事に慣れるまでが大変でした。入社してからの1年間は売り上げがゼロになりそうな発行号があったり精神的にキツい時期もありました。ただ、入社した当時からお付き合いを頂いるお客様に励まされたり、熱心に通ってくれたからと、そんな理由で契約を頂いたり、とにかく【人】に恵まれている営業人生だと思います。入社して初めての1月~2月。1年を通して出稿件数が減少する時期なので、結構ツラかったんですが、3月に長町特集という仙台ぱどとして初めての地域特集を自分で企画していました。営業はもちろんですが、編集ページも自分で取材、入稿しました。結果、売り上げ、コンテンツのボリュームも今までにない充実した特集になり、長町の大型商業施設もこの特集をきっかけにご出稿いただけました。入社して最初の1年の集大成になり、長町特集はその後も続く定番の特集になりました。2年目以降も紆余曲折、山あり谷ありの営業人生だとは思いますが、結果【人】に助けられ、恵まれてここまでやってきました。
また、震災は大きな試練だったのではないかと思います。震災後、ぱどの発行が本当に続けられるのか不安でした。震災が発生した翌週半ばくらいから、お客様への安否確認の電話を始めました。お付き合いが長いと出身地なども伺っていたので、電話に出て頂いて安否が確認できても、話を聞くとご両親やご家族が被災されていたり、言葉では言い表せないくらい大変な状況でした。しかし、お客様もスタッフやお店を守るため必死でした。家族と同じくらい、もしかしたら家族以上にスタッフやお店のことを考えているお客様を想うと、私も必死に頑張らなくてはと考えるようになりました。地震や津波で地域は傷ついたけど、とにかくやれる人からやれることをやっていかないとの思いで、4月からの再発行にこぎつけました。Twitterでぱどが発行されている!と地域の方の喜びの声を直に見たときは嬉しかったです。大変なことでしたが、地域再生のために少しでも役に立つことができて、やっぱりぱどで働いていて良かったと、この時も思いました。あと、やっぱり女性っていうこともあり、【結婚】についても色々悩んだ時期もありました。忙しい仕事なのでプライベートとの両立がなかなか難しい時もありました。ただ、今の主人と出会ってから、仕事に対する理解もあって、その時は恋愛しながら仕事に集中することもできて、ぱど君賞まで受賞できました。
営業2課プランナー,大内 朋子

DREAM

ぱどでやりたいこと、夢は何ですか?

人間としては、周りに信頼されながら、楽しく仕事を続けることが一番です。ただ社外的なことで究極の理想があります。それは、お客様と永遠にお付き合いできる存在でいられること。時代の流れとともに集客のやり方が変わりつつありますが、時代のニーズに合わせてお客様の集客のお手伝い続けられる、そんな存在でいたいです。やりたいこと、やっぱりwebがまだまだ弱いのでそこを強化していければと思います。紙ももちろん大事ですが、そこを飛び越えて、web、電波、交通広告など広告といえば仙台ぱどと言われるぐらいの広告会社になっていたいです。また私自身が両親の仕事に誇りを持っていたので、自分の子どもにもそう思ってもらえるように、私自身の人間性も会社も成長させていければと思います。

ENTRY

エントリーする

  • マイナビ2019,新卒エントリー
  • 中途採用情報,中途エントリー